十二月大歌舞伎 第三部
- 2017/12/15
- 09:24
「瞼の母」の玉三郎、中車ともに初役ですが、朗読の公演を開催しているのでそれぞれの役へ深みはあります。中車も咽喉ではなく肚はらの発声にも大分なれてきたので、台詞回しも違和感は以前ほど感じませんが、不安定な箇所には"ん?"と思ってしまう時もあります。欲をいえば台詞を歌う要素がもう少し加味されると、番場の忠太郎がより魅力的になると思います。
この芝居一番は歌女之丞の夜鷹おとら。思わず梶原緋佐子の描いた女性が現れたかと思うほど、人生に擦れた感のなかに、番場の忠太郎の優しさから忘れていた優しさがにじみ出る上手さに生きる哀切が滲みでて花道の引っ込みまで客席の視線を奪っていました。次いで、萬次郎の半次郎母おむらの のドラ息子でも息子は息子、母が子を守る強さを出して番場の忠太郎の母性を求める姿が鮮明になりました。
水熊のおはまの玉三郎は心情を身体の向きであらわし、忠太郎が母だと言いよれば正面を向き突っぱね、忠太郎が泣き伏せれば我が子が気になり忠太郎の方を向き、おはまの心情の苦しさがよくわかります。ただ、長火鉢の手にまでは心情が現れてないのが残念です。そんなに縁を握っていると火傷しちゃいます。娘お登世の梅枝が忠太郎と踊り場で出くわせたときの戸惑いから母の思いの吐露から兄だと察する様に、この娘の聡明さがよく現れています。
「楊貴妃」の初演は1991年のMOA美術館の能舞台でした。舞踊では歌舞伎座での初演では様々な反応がありました。歌舞伎座では九花の帳の道具を用いた演出となっています。夢枕獏の作、唯是震一の作曲梅津貴昶の振付です。梅津貴昶の振りには緊密さがあり、楊貴妃の振りにも繊細で緊密なふりにが特に二枚扇子の中に込められていました。ここ最近の玉三郎の舞踊には起伏がなく雰囲気重視のようなものが多く、見応えの物足りなさがありましたが、これが自分の思いと違いなのかよくわかりませんした。
今回の楊貴妃でも物足りなさを感じましたが、それは今までの振り、特にしゃがむという振りが少なくなっているので上下への身体的表現が舞踊全体を平板の印象を与えていたのが、楊貴妃では如実に影響を与えていたのかもしれません。白居易の「長恨歌」での比翼連理の場も花道での振りで視線の集中度は高まりますが、見せ場の高揚感というものでは薄れているように感じました。
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